初めまして。初めて相談をさせて頂きます。

近々30歳になるのですが、学生の頃から原因がわからない生きづらさのようなものをずっと抱えており、今になって自分の今までの人生を振り返って考えているのですが、やはりこれだと明言できる原因がわからず、悶々としています。

自覚している症状は、自己肯定感の無さ、人間不信、思い込みが激しい(認知の歪み)、不安感が強い、などです。

自分に自信が無いくせに、友達や同僚ですら心中で疑ったり、見下したりしてしまう自分が大嫌いです…

もっと素直に前向きに生きられたら楽しいし、幸せだろうとはわかっていますが、努力だけでどうにかできていたら、こんなに悩んでないよ!!と叫びたい気持ちです。

私の人生で恐らく1番の足枷になっているのは、幼稚園から小学6年生まで場面緘黙症だったことだと思っています。恥ずかしくて友達にも話したことがありません。

話したくても声が勇気がなくて出せなくて、友達もいませんでしたし、からかわれたりすることもあり、その頃のことは思い出したくないですし、情けなくて悲しくなります。

場の空気や人の表情を読んで行動したり、良い人ぶってしまうのは、場面緘黙症の後遺症のようなものなのでしょうか?

親しくない人に対しても良い人ぶってしまうので、成人してから騙されたり、好きでもない男性に好かれてしまったり、嫌な思いを沢山してきました。

あとは、家庭環境も原因の1つかな、と思っています。
両親が21歳の時に離婚したのですが、父と母は小学生になる頃には不仲だったと思います。(父は自己中心的な人で、あまり働かないこともあり、母が一生懸命に働いてくれました。)

父が母と口論しているところを何度も見てきましたし、中学生になって以降は、仲が悪くて当然だと思っていました。

でも苦しい思いをして育ててくれた母に対しても、家庭に対しても、学生の頃の私は情けないことに無関心だったと思います。

言い訳をするわけではないですが、家族揃って夕食を食べる時などは、毎日苦痛で仕方がありませんでした。

俯いて不機嫌な顔で食事をする母と、それを見て舌打ちをしたり、苛立ちをみせる父を見ているのが辛くて悲しかったです。

きっと姉も妹も、家族皆が自分の心を守ることに必死だったんだと今は思っています。

学生の頃、母は仕事で忙しく、あまり会話をする時間がなかったので、当時は寂しいとは思いませんでしたが、今になって甘えたくても甘えられなかったと思うようになり、それが自分は不幸だと惨めに感じる原因かもしれません。

両親が仲が良く、良い家庭環境で育った人を見ると、妬ましくてイライラします。

そういう人は、素直に前向きに生きているように見えますし、周囲にも寛大です。私だってそうなりたかったと羨ましく思う自分も嫌いで、この世は不公平だと落ち込みます。

沢山辛い思いをして育ててくれた母に対して、罪悪感を拭いきれずにいます。親友は「家族に対して罪悪感なんて持たなくていい」と言ってくれましたが、やっぱり難しいです…

母は今もパートの仕事を頑張っており、疲れているのか、表情が暗い時がよくあります。

そんな母の顔を見ると、悲しいというか虚しいというか、未来が見えなくなるというというか、漠然とお先真っ暗だ、と私まで暗い気持ちになります。

今の仕事(事務職)を3月いっぱいで辞めるのですが、その職場の上司と馬が合わず、父と同じ歳の上司からセクハラ紛いのことを言われたり、既婚者の社員から2人きりの食事に誘われたりと、信頼していた人から裏切られることが重なり、昨年は体のあちこちに痛みが表れたり、子宮頸がん検診に引っかかったり、身体症状が表れるまでになってしまい、ますますネガティブになってしまった気がします。

職場では毎日何かにイライラしています。暇だからとふらふらしている人に腹が立ちますし、なんで私ばっかりこんなに頑張っているんだろう…と虚しくなります。

周囲の人達がみんな自由に生きているように見えて、私の人生この先も他人と比べて惨めに感じていかなければならないのか、と思うと疲れてきて、頑張るのも馬鹿馬鹿しく思えてきます。

考えることに疲れてしまいました。
もっと自由に、前向きに、素直に、周囲に対して寛大で、気楽に楽しく私らしく生きていきたいです。

ご多忙の折恐縮ですが、お返事を頂けると幸いです。

長々と失礼しました。